ニュース2018.10.11

【コラム】WAKAZO クリエイティブプロジェクト編

「U-30の若者で万博を通して表現する。若者が万博を造る。」

を目標に立ち上げられ、万博誘致活動を熱心に行っている団体<WAKAZO>(読み方:ワカゾウ)から、

先日東京にて実施されたコラムが届きました。

WAKAZOの熱い想いを本コラムから感じて頂ければ幸いです。

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2018年9月9日(日)新建築青山ハウスにて、WAKAZOにとって初の東京でのイベントが行われた。今回は、SENPAIによる講演とパピリオンの中間発表会及びエスキス会であった。

前半は、経産省の村上春菜氏、SENPAIの東京大学助教授の平野利樹氏、日建設計のNAD室室長の塩浦政也氏に講演をしていただいた。

まずはじめに平野氏の講演を振り返る。平野氏には、「ヒトとモノの関係性について」というテーマでお話いただいた。今、建築を機械のように機能に分解できるようにつくっていく事は限界を迎えている。しかし、建築は機能がないと成立しないのも確かである。したがって、機能主義の乗り越えとして反機能主義を掲げたところで、なにも始まらない。そこで、平野氏は、半機能主義を掲げ、「モノは可能性に満ちている。」ということをキーワードとして挙げている。

例えばその辺にあるペットボトルをとっても、機能主義的な考えをすると、普通それは飲料水を飲むためだけのものである。しかし、視点を変えて猫から見ると転がる遊び道具として立ち現れる。この考え方はアフォーダンスの理論に近く、モノそのものの特徴があらゆる行為を誘発するような性質を持っているということに着目している。

そこから進んで平野氏は、半機能主義として二つの方向性を示す。「強い機能主義」と「機能主義の脱臼」である。

強い機能主義とは、機能主義がモノの形や性質が持つ情報を使って、一つの情報から一つの目的の行動へ誘導していくのに対して、それをオーバードライブすることで、組みつくせないほどの情報をモノに対して読み込んでいくことに意味を見出している。

一方、機能主義の脱臼とは、簡単に言うと「ペンパイナップルアッポーペン」のおもしろみである。機能主義の怖いところとは、人々がその機能に満足し、適応しなくなることにある。一方、この機能主義の脱臼においては、エレメント同士が微妙につながっていないという関係性がある。しかし、同時に完全に分離もしておらず、近接性が見いだされるようなものである。これは、ベルクソンのいうユーモアという考え方に近く、それがつくりだす違和感に対してくすっと笑えることが適応につながるのではないか。

この2つの半機能主義の例を皮切りに、モノとヒトとの関係性を問うことができるのではないか、という内容であった。

続いて、塩浦政也さんには「医療×建築 アクティビティデザイン概論」というテーマでお話しいただいた。分野をこえた協働で、どのようにしてイノベーションを生み出していくかという内容である。ヒポクラテスの誓いによると、プロフェッションとは、厳しい掟のもと高度な職能の向上を目指し続け、クライアント第一であり、かつ公益への奉仕を重んじ、誰の命令も受けず誰にも管理されない立場を保ち続けることである。近代以降職能は、分業化してしまっているが、本来、専門家→領域横断者、委託契約者→起業家という方向へもっていく必要があるのではないか、ということであった。9.11やリーマンショックで近代の都市システムが崩壊し、ジャスミン革命などSNSが国を倒すようなことが起こっている今、都市空間が社会イノベーションの舞台として考え、行動していくべきであると塩浦氏は考える。日建設計のNADでは、アクティビティデザインに対して四つの軸を持っている。問いのデザインであるcritical design、改革のための戦略デザインであるtransformation、実態化のデザインであるexecution、つながりのデザインであるecosystemの4分野において実践を重要視して行っている。それらをもとに、ユーザーの能動性を豊かにするデザインで社会にイノベーションを起こしてきた。

ある空間をつくったときの金廻りは、建設などの初期コストが5%、建物の維持などにかかる費用が10%、その空間で行われる活動の人件費が85%を占める。このように見ていくと、アクティビティデザインの投機先としては、建築<空間<場 ということが言える。

「場」とは、「知識が共有・創造・活用されるという相互作用が起こる心理的・物理的・仮想空 間であり、共有された動的(常に変化する)文脈。」であり、西田幾多郎によると、家族や企業、コミュニティといった場所の中の自分こそが自己であるという。

「場」とはきわめて複合的であり、要素分解が難しく、自己投企的であるため客観 的記述が難しい概念である。

NADが「場が立ち現れると」いう表現を使うのは、「場」は計画やデザインすることはできず、それらを尽くした後に、事後的に生じる性質を持っているからである。 NADは「場」の生成に向かって日々実践知を積み重ねている。

場を取り囲む戦略はイノベーションを生むが、それには七つの要素がうまく絡んでいることが必要である。まずは、手間・空間・時間、そしてそれより大きい枠組みとして目的・発信・評価、そしてそれらの中心として欠かせないのが「人間」である。なによりも、人間の行動を中心に据えることが重要であると塩浦氏はおっしゃった。

そして最後に、塩浦氏から「革命はいつも広場で起きる。」という言葉をいただき、都市空間においてイノベーションを起こしていくことの重要性を教えていただいた。

続いて、後半のエスキス会では、大阪府立大学特別教授の橋爪紳也氏も加わって行われた。全体として 医療×建築という領域を横断した議論の中から、新しいムーブメントとして、「エピジェネティクス建築」を今回初めて公の場で提唱し、その思想をもとに、建築家6チームがそれぞれ7月22日でのキックオフミーティングからブラッシュアップした案を持ってきた。この会では、会場の参加者の全員がなるべく議論に参加できるよう配慮し、最初に6チームがいっきに各4分のプレゼンテーションを行い、その後、24分ずつ3チームのパネルディスカッションという形で模型を囲んだ議論の場を設けた。それぞれのデスクで、SENPAIと会場の参加者、WAKAZOメンバーが入れ混じって、ディスカッションが行われた。

様々な場所でご活躍されているSENPAIや建築家、様々な分野のWAKAZOメンバー、来場者という世代や専門分野を超えた熱い議論が行われた。

参加したメンバーからは、「発想の仕方、目の付け所などが見えた」「1人の人生をも変えてしまうような心に残るものになってもいいのではという言葉は、ハッとさせられました。」「ランドスケープやオブジェクト、建築的な考え以外に、万博の短期的な提案、を味方につけた提案にブラッシュアップする方向性が固まった。」といった感想を引き出すことができ、それぞれ収穫を持って次に進める形で無事終了した。

これからは11月25日のフォーラムでの発表に向けて再び走り続けていく。

 

 

 

WAKAZO 代表:塩田

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